フェラーリのバリチェロが、来期BARホンダに移籍することが発表になり、我らが佐藤琢磨の来期のシートが危うくなっているわけですが、
そんな中、「「中国人被害者に補償を」 呼びかけ人に佐藤琢磨さんも」というニュースが流れました。
それでなくても難しいこの時期に、微妙な政治問題に首を突っ込むのはいかがなものか、と懸念していたのですが、この翌日、公式サイトに”お詫び”が掲載されていました。「弁護士である父親の依頼で名前を連ねたが、政治的な発言をする意図は無かったし、運動の詳細は理解していなかった」とのことです。
詳細を知らずに賛同するには、あまりに微妙な問題ですよね…
この機会に、戦後補償の問題などについて、ちょっと調べてみましたが、右から左まで様々な意見があり、収拾が付かない状態なんだなぁと、改めて思いました。
「南京大虐殺」にしても、”30万人が虐殺された”という意見から、”そんなものは無かった”という意見まであります。「南京大虐殺」に関する Wikipediaのページを見ると、”編集合戦のため編集保護されている”(つまり編集禁止になっている)とあり、実際ノートを見ると、壮絶な論争が繰り広げられています。
ここを見ていて、「悪魔の証明」という言葉を知りました。
”悪魔の証明(あくまのしょうめい)とは、モノ・行為の存在を巡って、「あること」に比較して「ないこと」を証明することが極めて困難であることを比喩する言葉である。”
だそうで、なるほどと思えます。
しかし、南京大虐殺のような過去の事件の場合、「あること」を完璧に証明することもまた、容易では無いでしょう。
いずれにしろ、過去について論争するのはいい加減にして、未来に目を向けましょうよ、と思うんですけどね。歴史を知るのは重要なことではあるけれど、ここまで泥沼化してしまうと、もはやエネルギーのムダだと思えます。「ある」にしろ「ない」にしろ”悪魔の証明”ではないかと。
最近のコメント